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HARD COAT BLOG.

額縁を中心とした画材の卸問屋・日本ハードコート株式会社のスタッフ 
NaNaがアートに関するさまざまな情報を楽しくお伝えします♪
マザッチオの絵画様式が発展
0
    間があいてしまいましたが汗

    第2章の二回目は、

    マザッチオの絵画様式が発展
    「真面目な修道士画家も理論武装の数学者もルネサンス絵画に参加」

    です♪

    では、まず本の文章を載せていきます♪

    修道士の絵画

    マザッチオの遠近法や光の明暗によって表現するリアルな絵画の様式は、ルネサンス初期の画家に次々に取り込まれていきました。

    しかしその中には修道士の画家フラ・フィリッポ・リッピや、同じくサン・マルコ修道院で修道士をしていたフラ・アンジェリコもいました。
    ただし尼僧と駆け落ちするリッピとは違い、フラ・アンジェリコはとても真面目に宗教の道を歩んでいます。

    彼は昔からの宗教画を重んじたためか、最初のうちはマザッチオなどが流行させた新しい技法にはあまり興味を示しませんでした。
    それでも、徐々に作品の中には、マザッチオのような空間表現や光を巧みに使う技法などが取り入れられていくようになります。

    フラ・アンジェリコの作品は、純粋無垢な美しさを持っていると、多くの人が称えています。
    それはきっと敬虔な修道士を生涯貫いたという彼自身の性格が表現されているからなのかもしれません。

    数学者の絵画

    完璧とまでいわれる遠近法を駆使して、絵画制作に携わった画家もいました。
    ピエロ・デラ・フランチェスカそいう人です。

    実はこの人物、数学者でもあり、遠近法を数学的に研究し、著作まで発表しています。
    描いた作品も明晰という言葉が似合うものばかりでした。



    フラ・フィリッポ・リッピについて見る
    Fra Filippo Lippi(1406-1469)

    初期ルネサンスを代表するフィレンツェ派の巨匠。
    現実を感じさせる空間構成と、流麗な線描と繊細かつ豊かな色彩による人物の世俗的で甘美な表現をおこなう独自の様式を確立。
    世俗や官能と聖性を併せ持つ画家の作品は、同時代の大画家フラ・アンジェリコと同様、その後、隆盛してゆくフィレンツェ派の発展において極めて重要な役割を果たした。
    1406年にフィレンツェで肉屋の息子として生まれるも、幼い頃に両親と死別し孤児となりカルメル会修道院に引き取られる。同修道院の修道士として若年期を過ごす。

    マザッチョに絵画を学び、強く影響を受けたと推測されている(フィリッポ・リッピの弟子にはフィレンツェ派最大の画家のひとりサンドロ・ボッティチェリが控え、マザッチョとボッティチェリの接点ともなった)。

    現存する作品は約60点とされるが帰属については異論も多い。また素描も数点確認されている。

    数々のスキャンダルの中でも有名なお話↓

    1452年から長期滞在したプラートで50歳の頃に起こした修道女ルクレツィア・ブーティとの駆け落ち(自宅に連れ帰ったとされる)で、一大スキャンダルへと発展し修道院へ出入り禁止になるも、画家を高く評価していたコジモ・デ・メディチの計らいによって法王より還俗と結婚が許され、同じくフィレンツェ派を代表する画家で類稀な画才を持ったフィリッピーノ・リッピなど、2人の息子を授かった。

    リッピさん、ボッティチェリの師匠だなんて!!凄い人を育てましたね〜日の出

    作品↓

     

    受胎告知 1440年代
    アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)



    聖母子と天使  1465年頃
    ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

    何か…スキャンダルを色々と起こしちゃうような方をイメージしてしまうと…いったいどんな変わった絵画を・・って思っちゃうけど(失礼マル秘)とても美しい絵ですよね嬉しい

    聞き耳を立てる「受胎告知」について
    これはnanaのちょっとした小さな知識なのですが、「受胎告知」っていう題名の絵画は色々な画家さんが描いているのですが、この絵画の意味は、天使ガブリエルが処女マリアに「あなたはイエスを身ごもりますよ」っという事をお知らせに来ている場面なんですよね。
    そして、この場面の絵にはユリの花が描かれてい事が多いそうですよ。
    白百合はマリアの処女性・純潔を意味しているのです。

    この頃の絵画って、宗教や聖書の中のお話から何かを意味するモチーフか描かれることが多いんですよね。
    例えば、ざくろの実は女性の性器だったり。(違ったカナ。。)


    フラ・アンジェリコについて見る
    Fra Angelico(1387-1455)

    イタリア、ルネサンス期の画家。
    本名はグイード・ディ・ピエトロ(Guido di Pietro)。
    フラ・アンジェリコの意味は「天使のような修道士」。その通称のとおり、人格者として名高い。
    作品は清らかで深い精神性に満ちている。

    フィレンツェ近郊のヴィッキオの出身。1387年に生まれ、1420年前後にドミニコ会の修道士になったと考えられている。フィリッポ・リッピと共にコジモ・デ・メディチのお抱え画家として活躍した。

    作品↓



    受胎告知  1430年頃
    サンタ・マリア・デレ・グラツィエ修道院



    サン・マルコ祭壇画   1438-1440年頃
    サン・マルコ美術館

    見るほらほら♪アンジェリコの「受胎告知」にも天使の後ろあたりにユリの花♪

    ピエロ・デラ・フランチェスカについて見る
    Piero della Francesca 1415/20-1492年

    15世紀中期の最大の巨匠を言われている画家。

    イタリア各地で制作しているが、生涯のかなりの部分を郷里とその周辺で過ごしている。晩年には数学の研究を深め、『算術論』『遠近法論』『五正多面体論』の3冊の著作を残している。

    代表作『キリストの洗礼』(ロンドン、ナショナル・ギャラリー)に見られる明瞭簡潔な画面構成、人物や樹木の単純明快な形態把握、明るい色彩感覚などには現代美術に一脈通じるものがある。
    『キリストの鞭打ち』では、主題であるはずの鞭うたれるキリストの姿は画面向かって左の奥に押しやられ、むしろ画面右手前にたたずむ3人の人物の方がずっと大きく表現されている。これらの服装も年齢もまちまちな3人の人物が何を表しているかについては諸説がある。ウルビーノ公夫妻を描いた、真横向きの肖像画もよく知られている。

    作品↓


    キリストの洗礼 1448-1450年頃
    ロンドン・ナショナル・ギャラリー

      

    ウルビーノ公夫妻の肖像  1472-1474年
    ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

    パーnana、この絵は実際にウフィッツィ美術館で見ましたけどとても面白い絵でしたね〜ラッキー確かこうやって向かい合って展示してあったような記憶があります。


    次回は 

    財政面の立役者・メディチ家
    初期ルネサンスはメディチ家の支援があったフィレンツェが中心地

    ですきのこグリーン





    | 世界の名画より♪ | 14:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    ルネサンスの絵画を開拓
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      第2章の最初は、

      ルネサンスの絵画を開拓
      「26歳で世を去ってもその後のルネサンス絵画に多大な影響を与えた画家」

      です♪

      ではまず本の文章を載せていきます♪

      絵画には手本がない

      ルネサンスは、古代ギリシア・ローマの芸術を復興し、人間性の解放を目指す文化革命の流れです。この建築や彫刻の分野では、お手本となる古代の遺物を見ながら、わりとスムーズに活動は進められていきます。

      しかし絵画の分野では、残されている芸術作品がわずかでした。復興するにも、そのもとになるものがなく、さらにペストの大流行などもあり、他の分野に比べて停滞していたようです。

      せっかくジョットが先駆者的な作品を生み出していたのに、その後を進めていく人物も、お手本もない……。

      そんな時代に現れたのが、マザッチオでした。

      ひたすら絵画

      マザッチオは、それまでのような現実世界を超えた神秘的で厳格な雰囲気の絵ではなく、リアルで臨場感のあるキリストや清書の場面などを描きました。

      今では当たり前に見かける遠近法の手法を他に先駆けて取り入れ、それを正確に完成させた最初の画家といわれています。平面の壁に奥行きが現れる絵を見た人は、当時も今も、誰もが圧倒されるようです。

      マザッチオは、そんな技法の習得や絵画制作にひたすら没頭しました。その情熱がルネサンスの絵画分野を拓いたともいえるでしょう。しかし、彼は26歳の若さで惜しまれながら世を去ってしまいます。


      なるほど。マザッチオは短い生涯、絵を描くこと、開拓することに力を注いだのですねショック
      しかし…この本には26歳と書いてありますが…実際に掲載されている生没年によると、1401〜1428ってなっているんですけど…そうすると26歳じゃなくて27歳ですよね。
      ネットでマザッチオのこと調べると確かに27歳没ってなってるあめ
      まぁたいした差じゃないですけどね♪

      マザッチオについて見る
      Masaccio(1401-1428)

      彫刻家ドナテッロ、建築家ブルネッレスキと共に初期ルネサンスの三大芸術家と称されるフィレンツェ派の代表的な画家。
      15世紀の絵画においてドナテッロからの影響である明暗法による人体の立体的・構造的な表現や、ブルネッレスキが発見した遠近法を用いた空間表現を有機的に結びつけた最初の画家とされ、その表現は15世紀の画家達に決定的な影響を与え、同じく初期ルネサンスの代表的な画家ボッティチェリや、イタリア・ルネサンスの三大巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの活躍で最盛を迎えることになる。
      特にカルミネ聖堂ブランカッチ礼拝堂の連作壁画(貢ぎの銭、楽園追放など)はフィレンツェの画家に「学校」と呼ばれるほどの手本となったほか、サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂の『聖三位一体』では絵画至上初となる科学的(幾何学的)遠近法を作品中の建築空間へ適応するなどイタリア・ルネサンスを語る上で最も重要な画家の一人。

      現在、彼の作品だとはっきりと断定されているものはわずか4作品しかありません。

          
      三位一体          聖母子(ピサ祭壇画)

          
      楽園追放       貢の銭


      マザッチオの用いた遠近法



      マザッチオという名前

      マザッチオという名前は、実はあだ名です。
      本名は、トマーゾ・ディ・セル・ジョヴァンニ。
      マザッチオとは、本来「間抜け」とか「だらしがない」などという軽蔑の意味合いがある言葉です。
      これは、彼があまりにも絵画制作に打ち込んでいたため、他のことにかかわっていられず、そのなりふり構わぬ様子からつけられたものだといわれています。



      遠近法って、今では当たり前ですよね。。
      美術の授業でもまず習うことだし。
      それがこの時代には当たり前ではなくて、見る人がビックリしちゃうような技法だったって、何だか不思議ですね〜。
      これからの時代もそのぐらいに画期的な技法や表現で驚かされることってあるのでしょうか??

      nanaもチョット考えてみようと思いますグッド


      次回は、
      マザッチオの絵画様式が発展
      「真面目な修道士画家も理論武装の数学者もルネサンスに参加」
      です♪
      | 世界の名画より♪ | 14:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      第2章
      0
        ブログの更新、すっごーーーくサボっていました冷や汗
        半年前の誓いは…ちゃんと沢山更新して〜とか充実したHPに〜とか書いているのに。。。ゴメンナサイ汗

        ではでは♪

        世界の名画の続きで、第2章からデス♪
        私達にも馴染みの深い巨匠達がたくさん出てきそうですヨ♪♪

        『古き良き時代の再生を目指す ルネサンスが生んだ数々の巨匠』

        です嬉しい

        最初はこの時代(西暦1300年頃〜1600年頃)の時代の流れを本にしたがって載せていきます♪

        芸術の追求はペストを超えた

        ジョットが示した感情豊かな絵画の表現は、そのまま広まっていくきざしがみえていました。
        しかし、14世紀中頃に大流行したペストによって、その芸術の潮流は一時途絶えてしまいます。

        そして15世紀。感情豊かな人間性を追い求め、古代に栄えた古き良き芸術を復活させようとするルネサンスは一世を風靡していきます。
        どうやら先駆者ジョットの目指した方向性は、黒死病といわれた災いにも負けなかったようです。

        ルネサンスの絵画を生み出していったのは、もちろん画家たち。でも、その背後には、彼らを支える大きな存在がありました。裕福な市民の財力です。

        芸術家の活動を支えるパトロンとして、特にイタリア・フィレンツェのメディチ家には、ルネサンスに不可欠の重要な役割を担いました。

        盛期には3大巨匠の登場

        やがてルネサンス盛期には、ダ・ヴィンチミケランジェロラファエロという3人の巨匠が同時期に登場します。世界で最も有名な絵画といわれる「モナ・リザ」が生まれたのもこの時期です。そして、マニエリスムと呼ばれる後期のルネサンス期に入っていきます。

        一方、イタリアで栄えたルネサンス活動と同じ頃、アルプス山脈を越えた国々でも盛んな芸術活動は行われていました。その国々の活動は、北方ルネサンスと呼ばれています。中でも現在のベルギーにあたるフランドルでは、数多くの名作が生み出されました。


        こんな感じの内容です(^-^)

        文章内にあったダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロの他にもこの時代には馴染みのある巨匠の名前がたくさん聞き耳を立てる

        例えば〜

        ボッティチェリ、デューラー、ブリューゲル、エル・グレコ などなど。

        文章の中で気になったものを調べてみました♪

        ペスト(黒死病)

        ペスト (癙、Pest(独)、Bubonic Plague) は、人体にペスト菌(Yersinia pestis 腸内細菌科 通性嫌気性/グラム陰性/無芽胞桿菌)が入ることにより発症する病気。
        菌を保有したネズミの血を吸ったノミ(特にケオプスネズミノミ)に人が血を吸われた時にその刺し口から菌が侵入したり、感染者の血痰などに含まれる菌を吸い込む事で感染する。
        かつては高い致死性を持っていた事や罹患すると皮膚が黒くなる事から黒死病と呼ばれ、恐れられた。14世紀のヨーロッパではペストの大流行により、全人口の三割が命を落とした。

        ルネサンス

        ルネサンス(仏: Renaissance 直訳すると「再生」)とは、一義的には、14世紀 - 16世紀にイタリアを中心に西欧で興った古典古代の文化を復興しようとする歴史的・文化的諸運動を指す。また、これらが興った時代(14世紀 - 16世紀)を指すこともある。

        パトロン

        パトロン(patron)とは保護者、後援者のことである。ラテン語のパテル(pater、父)から派生した同じくラテン語のパトロヌス (patronus) に由来する言葉。
        パトロンはその保護する対象に応じて色々デス。
        1.芸術家らの活動を支援する資産家、企業のこと。
        2.英語では政治家の活動を支援する資産家、企業のことも指す。後援者のこと。
        3.女性に月々のお手当てを渡したり開業資金を提供したりする男性のこと(多くの場合、愛人関係にあり年齢差がある)。
        4.皆におごる人。
        5.図書館の利用者
        など。図書館の利用者??何でかな?

        メディチ家

        メディチ家(Medici)は、ルネサンス期のイタリア・フィレンツェにおいて銀行家、政治家として台頭。フィレンツェの実質的な支配者として君臨し、後にトスカーナ大公国の君主となった一族である。その財力でボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロなどの多数の芸術家をパトロンとして支援し、ルネサンスの文化を育てる上で大きな役割を果たしたことでも知られている。
        「メディチ」は「薬」という意味であり、先祖は薬種問屋か医師であったのではないかとされており、13世紀のフィレンツェ政府の評議会議員の記録に既にメディチの名前が残されているが、それ以前の経歴や一族の出自に付いてはあまり明らかにされていない。

        マニエリスム

        マニエリスム (Mannierism) とはルネサンス後期の美術で、イタリアを中心にして見られる傾向を指す言葉である。美術史の区分としては、盛期ルネサンスとバロックの合間にあたる。イタリア語の「マニエラ(maniera:手法・様式)」に由来する言葉。
        マニエリスムの頃の絵画

        エル・グレコ「受胎告知」

        なるほど。。。
        良いですねぇ。ワタシも制作活動をしているので…パトロン…羨ましいデスニョロ
        以下の人物については第2章の中できっともっと詳しく学べると思うのですがチョット予習♪

        ダ・ヴィンチ

        レオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonardo da Vinci, 1452年4月15日 - 1519年5月2日) は今日、イタリアのルネサンス期を代表する万能の天才として知られ、「万能人(uomo universale)(ウォモ・ウニヴェルサーレ)」とも呼ばれている。
        絵画、彫刻、建築、土木および種々の技術に通じ、極めて広い分野に足跡を残している。『最後の晩餐』や『モナ・リザ』などの精巧な絵画は盛期ルネサンスを代表する作品になっている。膨大な手稿(ノート)を残しており、その中には飛行機についてのアイデアも含まれていた。
        幼少期のレオナルドは、原因は不明だが正当な教育を受けず、自然とともに暮らしていた。当時から左手で鏡文字を書いたと言われるが、これは彼が読み書きの教育を受けなかったためともされる。この時期に、自由奔放な性格だったと言われる叔父から影響を受けたと指摘されている。彼の文字の癖は、父の公証人という仕事を継ぐことに大きな障害となった。
        確証には欠けるが、レオナルドは14〜16歳でフィレンツェに移ったとされる。画家見習いとしてアンドレア・デル・ヴェロッキオの工房に弟子入りし、ボッティチェッリらと共に学んだ。


        「最後の晩餐」

        ミケランジェロ

        ミケランジェロ・ブオナローティ(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni, 1475年3月6日 - 1564年2月18日)は、イタリアルネサンス期の彫刻家、画家、建築家、詩人。名前はミカエル(Michael)と天使(angelo)を併せたもの。

        西洋で最も巨大な絵画の一つとも言われるバチカンのシスティーナ礼拝堂の天井フレスコ画や『最後の審判』、パオリーナ礼拝堂にある『聖ペテロの磔刑』、『パウロの改宗』を描いたことでよく知られている。もともとは彫刻家であり、『ピエタ』や『ダビデ像』等の傑作のほかにも『バッカス』、『モーセ』、『ラケル』、『レア』などが有名である。バチカンの『サン・ピエトロ大聖堂』の設計者でもある。
        レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ・サンティとともにルネサンスの三大巨匠と呼ばれる。ミケランジェロは長命であり、作品も盛期ルネサンスの時代から、マニエリスムの時代への移り変わりを示している。また躍動的な表現は、次のバロックの時代を準備したといわれる。

        「システィーナ礼拝堂の天井画・アダムの創造」

        ラファエロ

        ラファエロ・サンティ(Raffaello Santi, 1483年4月6日 - 1520年4月6日)は、盛期ルネサンス期を代表する画家、建築家。ミケランジェロが偉大な改革者であるのに対し、ラファエロはそれまでの芸術手法を統合、洗練して、女性的で優雅な様式を確立した、総合芸術の天才であると言える。その資質は彼の死後も賞賛され、模倣された。
        1483年、宮廷画家ジョヴァンニ・サンティの子としてウルビーノに生まれ、父親から絵画の教育を受けた。ジョルジョ・ヴァザーリによれば、幼少期にペルージャのピエトロ・ペルジーノに師事したことになっているが、ペルジーノに大きな影響を受けたのは事実であるものの、今日ではこの逸話は否定されている。

        「自画像」

        第2章の流れと気になる言葉の説明はこんな感じですイケテル

        次回の「世界の名画」の続きは、『ルネサンスの絵画を開拓 26歳で世を去ってもその後のルネサンス絵画に多大な影響を与えた画家』です♪♪

        面白そう拍手


        | 世界の名画より♪ | 16:09 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        ルネサンスを先取りした画家
        0
          今回は「ルネサンスを先取りした画家」です♪

          ココのポイントは〜
          ●イタリアではフレスコ画の伝統が続いていた
          ●ジョットはこれまで無表情だった宗教画に、初めて感情表現を加え
          「イタリア絵画の父」と呼ばれる
          です♪

          それでは本の文章を載せていきます♪

          ステンド・グラスよりもフレスコ画、ジョットが描く初めての感情表現

          イタリア2つの画家

          大きな窓にステンド・グラスを施すゴシック美術の大聖堂が次々に建てられる中、イタリアでは、まだ窓を小さめにつくり、残した壁にフレスコ画を描く手法が多く残っていました。
          これは、東ローマで同時期に栄えているビザンチン美術が影響していたからともいわれます。
          そのフレスコ画を描く代表的な画家たちはフィレンツェとシエナにいました。
          シエナで活躍したのは、ドゥッチョシモーネ・マルティーニロレンツェッティ兄弟といった面々。しかし彼らは、どちらかといえば、フランスから始まったゴシック美術の絵画様式を追求していこうと考えていました。
          そして、もう一方のフィレンツェの画家たちは、シエナとは違った方向に進んでいきます。
          これを進めたのがチマブーエと、その弟子であったジョットです。

          ルネサンス前夜

          チマブーエが描いたのは厳格な表情の聖人像などではなく、より自然で人間らしさがみられる宗教画でした。近寄りがたい存在に親近感を与えたのです。
          そしてジェットは、さらに感情表現を加えました。表情はないのが当たり前の宗教画が感動的な絵画になったのです。これが次のルネサンスにつながり、彼は「イタリア絵画の父」とも呼ばれました。


          ジョット
          画家が彗星探査?
          76年の周期で太陽系をめぐるハレー彗星。最近では1086年に、地球の近くを通りました。このとき彗星を観測するために宇宙に出向いたのが、なんと「ジョット」だったのです。
          このジョットとは、もちろん画家のジョットではありません。欧州宇宙機構が名付けた宇宙探査機の名前。1301年に出現したハレー彗星を壁画に描いた画家のジョットにちなんで、この名前が付けられたとうです。
          このハレー彗星観測には日本やアメリカも参加し、それぞれが探査機を打ち上げるなど彗星の謎に迫りました。

          名画鑑賞はココで!
          スクロヴェーニ礼拝堂
          ジョットの描いたフレスコ画の代表作は、北イタリアのパドバにあるスクロヴェーニ礼拝堂で見ることができます。
          礼拝堂の中のほとんどがジョットの壁画で埋め尽くされていると言えるほど、壮観な眺めです。描かれているのは、キリストや聖母マリアの生涯をつづったものなど。
          困惑の表情や嘆きの表情など、それまでにはなかった感情表現が礼拝堂のいたるところで見受けられます。
          ここはスクロヴェーニという人の個人礼拝堂で、高利貸しで財をなした父の罪を償うため、ジョットに内装全面の依頼をして完成させたといわれています。

          このスクロヴェーニ礼拝堂が日本で見られる!?
          もちろんオリジナルではないのですが、原画と同じ大きさで、圧倒されるような迫力の芸術作品を、そのまま再現した美術館が日本にあります!
          徳島県鳴門市にある「大塚国際美術館」です♪
          「陶板名画」という特殊な技術によって、スクロヴェーニ礼拝堂の壁画が美術館の中に収まっているそうです!!
          見に行ってみたいデス〜♪♪

          大阪国際美術館 公式HP

          nana)画派が分かれて、これから色んなスタイルが生まれてくるんですね〜。
          チマブーエジョットを弟子にしたのは、幼いジョットがいたずらに描いた羊の絵をたまたまチマブーエが見て、その才能を見出したと言われているそうですヨ。
          ジョットは「ルネサンスの先駆者」なんですって。。
          やっぱり天才は幼いころからその才能を発揮しているのですね〜。
          そこでこんな絵本があるそうです!
               ↓
          この書籍でより深く♪
          『ジョットという名の少年〜羊がかなえてくれた夢〜』

          チマブーエがジョットを弟子にした経緯いわゆる「羊の伝説」をもとにした絵本です。ヨーロッパの評判はもとより、日本でも第6回日本絵本賞の翻訳絵本賞を受賞するなど高い評価を受けています。
          (パオロ・グアルニエーリ/文 ビンバ・ランドマン/絵 せきぐちともこ/訳 西村書店¥1890)

          チマブーエとジョットがフィレンツェで活躍した画家で、一方、シエナで活躍した画家はドゥッチョマルティーニロレンツェッティ兄弟でした。
               ↓


          これで第1章が終わりました(^^)
          次回からは第2章、ルネサンス(14〜16世紀)です♪
          いよいよ私たちの耳にもよく入ってくる、ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロなどの画家たちの時代になりますヨ♪




          | 世界の名画より♪ | 13:58 | comments(0) | trackbacks(2) | - | - |
          ゴシック美術の絵画
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            今回は「ゴシック美術の絵画」です♪

            ココのポイントは〜
            ●ゴシック美術はフランスから広くヨーロッパへ
            ●教会の大きな窓を飾るステンド・グラス
            ●芸術の担い手が広く市民らのもとに
            デス〜♪

            では本の文章を載せていきます♪

            建築様式の変化で壁画はステンド・グラスへ
            写本絵画は町の工房へ


            大聖堂が続々

            12世紀頃から始まるゴシック美術は、政治や経済などが集中する都市化が背景にあります。都市の発達に伴って、教会には多くの人が集まれる大聖堂が次々に建てられていったのです。
            最初はフランスから始まったこの流れは、ヨーロッパ全土に広がっていきました。これら大聖堂の特徴となっているのが、大きな窓。建築様式の変化で、建物を支える柱が建物の外側に出され、大きな窓も備えられるようになりました。
            そして、この大きな窓に施されたのがステンド・グラスです。前のロマネスク美術で盛んだった壁画のフレスコ画をしのぎ、ゴシック美術の代表的存在になっていきました。
            ただ、ステンド・グラスはモザイクと同じで、ガラス片を組み合わせてつくるので、表現の自由度が限られます。そんな理由もあり、徐々に勢いは衰えていきました。そして、次頁で紹介する(ブログでは次回デ〜ス♪)画家のジョットのようなフレスコ画が再び注目されるようになっていきます。

            写本絵画も健在

            ロマネスクから引き継いだ写本絵画は、それまで教会の工房での制作が中心でしたが、この頃には制作現場が町の工房に移ります。
            聖職者などに限られていた芸術の担い手が、広く町の人々に委ねられていくという流れが、ここからうかがえるでしょう。


            ゴシック
            ゴシックという名称は、イタリア人が使った言葉で、どちらかと言えば、さげすんだ意味合いがありました。
            フランスで建ち始めた尖った屋根に大きな窓の特徴を持つ建築物を見て、「ゴート人の粗野な建築様式」といったのです。
            語源は「ゴートチック(ゴート人のような)」。
            しかし、19世紀に入ると中世の美術が再評価され、現在ではこの時代の美術様式や建築様式を示す重要な擁護となっています。

            ステンド・グラス
            エ字形の断面を持つ鉛のリムを用いて着色ガラスの小片を結合し、絵や模様を表現したもの。ガラスに金属酸化物を混入することで着色している。教会堂や西洋館の窓の装飾に多く用いられる。

            ガラスの素材でつくられたステンドグラスは、外から差し込む陽の光を、大聖堂の内側に導いてくれます。これは、神が光を与えるというイメージをもたらしてくれるものでした。
            さらに、文字が読めない信者にとっても、聖書の内容が示された絵柄は、信仰を深めるためにも役立ちました。


            最初はフランスの建築様式はイタリア人にバカにされてたんだ。。
            ステンドグラス、綺麗デスヨネ〜♪♪
            nanaも大好きです♪お友達にステンドグラス作家がいて、たまに展示会を見に行くんだけどすっごくやってみたくなる!!楽しそう〜♪♪
            ヨーロッパの色んな教会に行ったことあるけど…今でもステンドグラスってあったかなぁ。。。
            壁画とか天井画ばかりに目がいって、あんまりステンドグラスは印象にないけど^^;今度行く機会があったら気をつけて見てみます!!

            この時代のキーパーソン♪

            ジャン・ピュセル(?〜1334)
            ゴシック美術の時代に高い評価を受けたフランスの写本画家です。
            自ら写本工房を営んでいたと伝えられます。作品では、奥行きをきちんと表現するイタリアの写本絵画の影響を受け、そこにフランスの伝統的な柔らかな人物表現を加えて、新しいスタイルをつくり出した人物として知られています。

            シュジェール(1081頃〜1151)
            12世紀半ばに改修工事が行われたサン・ドニ修道院聖堂は、最も古いゴシック様式の1つといわれています。この事業を手がけたのが当時の修道院長シュジェールです。ゴシック芸術の基を築いた人物といわれています。


            時代を重ねるごとにどんどん絵画や建築は深い意味が込められ、人々の生活や信仰にも深く関わっていくんですね〜。

            次回は「ルネサンスを先取りした画家」です♪
            いよいよ現代の私たちにとっても身近な芸術の世界になっていきそうですネ♪




            | 世界の名画より♪ | 15:33 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            ロマネスク美術の絵画
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              今回は「ロマネスク美術の絵画」です♪

              ポイントは〜
              ●聖地礼拝や十字軍遠征などの影響で教会が多数建てられる
              ●教会を飾る力強いフレスコ画
              ●黙示録や大型清書などで写本絵画が発達
              です♪

              それでは本の文章を載せていきます♪

              ヨーロッパ中に広がるキリスト教の影響を受け壁画や写本絵画が盛んに

              教会の天井や壁に

              西暦1000〜1200年にかけて、ヨーロッパ角地域で生み出されていったキリスト教美術の様式をロマネスク美術といいます。
              この時代は、キリスト没後1000年を迎えた終末論の思想によって聖地礼拝が流行したり、聖地奪還をとなえた十字軍の遠征などが行われた時代でした。そんな時流に後押しされ、次々と教会が建てられてうった時代でもあります。
              そして、次々に姿を現す教会の天井や壁などを飾っていったのがフレスコ画です。近寄りがたいような厳格な姿のキリストや、聖書に登場する聖人の絵柄などが、くっきりとした輪郭線とともに力強いタッチで描かれていきました。
              前のページでも紹介したように、貼り付けのモザイクから、より自由な表現ができるフレスコ画へと作画の方法が変わっていったことも、力強さを加える1つの要素になったようです。

              本の中の絵画

              フレスコ画以外でも、この時代で注目されている絵画芸術があります。それは、本の中に描かれたいわゆる挿し絵、写本絵画です。
              当時は、まだ印刷技術が発達していなかった時代なので、本は人の手で書き写されていました。そこに色彩豊かな絵をつけ、美しく装飾したのです。
              教会が中心となった写本工房などで、写本絵画は描かれていきました。




              ロマネスク美術
              中世西ヨーロッパの建築・美術のうち、中世後期のゴシック以前のものを区別して用いる。ロマネスク建築、ロマネスク美術、ロマネスク様式などという。
              ロマネスクとはローマ風のという意味で、19世紀以降美術史の用語として使われるようになった。それ以前はロマネスクもゴシックも中世の美術という大きなまとまりとして捉えられていた。ロマネスク建築ではローマ時代の建築に多く使われた半円アーチを開口部の構造に使うことが特徴とされる。
              ロマネスク美術は素朴な信仰心に満ちた美術様式である。当時の絵画は文字の読めない人々にキリスト教を教える役割を果たした。東ローマの影響を受けた教会堂の壁画のほか、写本装飾に優れたものが見られる。

              写本
              手書きで複製された本や文書、またはその行為そのものを指して示す用語。
              洋の東西を問わず、広く木版印刷や活版印刷術が普及する以前、本は手ずから書き写すものであった。中世ヨーロッパにおいて写本はキリスト教の修道院を中心に行われ、「写字生」によって組織的に作られた。その当時の写本の中にはしばしば壮麗な挿絵がつけられ、美術品としても価値を見出されるものも存在する。
              写本では、筆写の過程でしばしば誤読、誤字脱字、付け加えなどが生じ易い。これらは原典を正確に伝承するという意味では瑕となるが、一方で写本がどのように伝わっていったかを系統立てて考察し、その背景にある文化的特性を検証する素材ともなる。

              挿し絵

              ピサの大聖堂はロマネスクの代表的建築物
              ロマネスク美術の絵画は、教会という建築物が数多く建てられたことで栄えていきました。そしてこの建築物そのものも、ロマネスク美術の作品として高く評価されています。
              このロマネスク様式の建築物として有名なのがピサの大聖堂です。大聖堂は11〜12世紀につくられ、そこに並ぶピサの斜塔は少し後の時代につくられました。




              フ〜ン。。印刷の技術が無かったときにはやっぱり人がひとつひとつ書いていたんですね〜。大変。。そりゃぁ誤字もありますヨ。
              字を書く人と絵を描く人、別々だったのかなぁ。

              豆知識♪♪
              場所がなく、奇妙な形の彫刻になった
              教会を飾ったのはフレスコ画だけではありません。柱や梁、壁には数々の彫刻も施されています。
              その特徴は「枠組みの法則」と呼ばれるルールに従ったデフォルメ。
              身体が不自然に長かったり、変に曲がって描かれていたりします。
              実はこれ、単にスペースの問題。細い柱に上から下まで1人の姿を描こうとすれば、身体が細長くなるのは当然です。
              建築物の書ける枠に合わせて、彫刻した結果が不自然なデフォルメになったのです。


              次はゴシック美術の絵画です♪





              | 世界の名画より♪ | 15:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              広がる宗教画の世界
              0
                今回は「広がる宗教画の世界」です♪

                ココのポイントは〜
                ●初期キリスト教美術はカタコンベと教会勝利の2時代
                ●ビザンチンの絵画はモザイク、イコン、フレスコ画など
                ●西ローマは初期中世美術へ
                です♪

                それでは本の文章を載せていきます♪

                隠れていた時代からキリスト教公認で華やかに
                宗教中心の美術は中世へ


                地下に描かれた壁画

                キリスト教が生まれた初期の頃、ローマ帝国ではまだそれが認められず、信者は迫害されていました。そこで信者たちは地下にあるカタコンベと呼ばれるお墓を礼拝の場所に使っていました。
                ここには壁画が描かれており、それはキリスト教の教えを示すものでした。
                そんな時代が続いた後、313年にキリスト教は公認され、大きな教会が建てられるようになります。その天井や壁には、分かりやすく信仰を広めるため聖画が多く描かれます。
                この地下の信仰の時代と公認後の時代とを合わせた美術の様式を初期キリスト教美術と呼んでいます。

                板に描かれる聖画

                ローマ帝国の首都が現在のイスタンブールにあたるコンスタンティノープルに移った後、帝国は東西に分裂します。
                このうち東ローマで栄えたのがビザンチン美術の絵画です。やはり中心はキリスト教の宗教画。教会の壁面を飾るモザイクや、板に描かれ家庭でも礼拝できるイコン、中期以降の時代からは漆喰の壁に絵具を使って描くフレスコ画が多く生み出されていきました。
                一方の西ローマはゲルマン民族によって滅ぼされ、いくつかの朝廷のもとで初期中世美術を形づくっていきます。もちろんここにもキリスト教文化は色濃く反映されていました。


                この本「世界の名画」は、楽しく分かりやすい文章で美術を学ぶことが出来るのですが、それと一緒に図も載っているのです♪
                nanaの文章で説明するよりもそれをココに載せたほうがトッテモ分かりやすくなると思うのでこれからは本の中の図も載せていこうと思います♪

                初期キリスト教〜ビザンチンの年表♪


                フ〜ン。。キリスト教が公認されるまでには結構長い年月がかかったんですね。。。
                でもその間にも信者はどうにかしても自身のため、そしてその教えを伝えるために絵画にしていたのですね〜。

                もうひとつ大きな図♪

                3つの美術様式の変遷


                カタコンベ
                地下の墓所のこと。もともとはローマのサン・セバスティアーノ・フォーリ・レ・ムーラ教会の埋葬場所のことを意味していたが、死者を葬る為に使われた洞窟、岩屋や地下の洞穴のこと全般を指すようになった。
                この表には、カタコンベの壁画には暗示的な象徴が描かれたと描いてありますね!羊を導く若者の姿でキリストを示す。とか〜ハトの集まる絵柄を信者にたとえる。とか!おもしろ〜い♪見てみたいなぁ。

                モザイク
                小さな石のかけらやガラスのかけらなどを壁などにつけながら模様を描いていく絵画です。石などの破片を組み合わせてつくるためグラデーションをつけるといった細かい表現は難しく、輪郭線もきちんとつけるため、どことなくぎくしゃくした絵になりがちです。
                前回お勉強したポンペイ遺跡にもこのモザイクで描かれた絵がたくさんあるんですよね♪

                イコン
                木材や金属の板を使って描いた聖画のこと。描かれるのはイエス、聖母子、聖人などで、教会に飾る大型のものから、家庭に飾る小型のものまであります。ギリシア語の「エイコン」が語源で、これはパソコンのマークなどで使われている「アイコン」と同じ語源です。

                フレスコ画
                漆喰の壁や天井に絵具で描いた壁画です。モザイクが石やガラスなどを大量に使うため費用がかかるのでフレスコ画に以降していったようです。
                壁に漆喰を塗り、その漆喰がまだ「フレスコ」である状態で、つまり生乾きの間に水または石灰水で溶いた顔料で描く技法。やり直しが効かないため(失敗した場合は漆喰をかき落とし、やり直すほかはない)、高度な計画と技術力を必要とする。

                エ〜。モザイクだと費用がかかるからフレスコに以降したなんて〜意外♪
                知れば知るほどおもしろ〜い♪

                次回は「ロマネスク美術の絵画」です♪


                | 世界の名画より♪ | 15:36 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                ギリシア・ローマの絵画
                0
                  さて今回は『ギリシア・ローマの絵画』です♪

                  今日のポイントは3つ♪
                  ●現在、ギリシア。ローマの絵画はほとんどが失われている
                  ●ギリシア美術は大きく3つに分類されている
                  ●ローマ絵画で有名なのはポンペイ遺跡の壁画

                  ですって♪フムフム♪

                  では本の文章を載せていきます♪

                  3つの時代のギリシアから先住民族の美術を継ぎローマ時代へと発展

                  失われた絵画

                  現存する古代ギリシアやローマの絵画は、それほど多くはありません。
                  災害により消失したり、破壊されたりとさまざまな要因が重なった結果ですが、それでも絵画作品が全く無かったわけではありません。
                  文献でしか残されていないのですが、ギリシアにはゼウクシスやパラシオスなど優れた画家がいたという記録が残されています。
                  そのギリシア美術の歴史は、大きく3つの時代に分けられます。
                  少しぎくしゃくした感じのアルカイック、自然な動きが出てくるクラシック、その動きがさらに強調されるヘレニズムです。

                  2つの文化の融合

                  ギリシアの後を引き継ぐローマの美術は、3つの時代を経たギリシア美術と、イタリア中部にいた古代民族が築いたエトルリア美術を合わせたようなもの。
                  ローマでは、ギリシアの多くの都市から戦利品として奪ってきた美術品をそのまま模倣して彫刻などがつくられていたのです。
                  そんなローマの絵画でわずかながら現存し、当時を知る上で欠かせないのが、ポンペイ遺跡の絵画です。
                  火山の噴火で埋もれてしまったローマ時代の都市ポンペイ。ここは、灰に埋もれたまま1748年の発掘が始まるまで人の手が入りませんでした。そのため、保存状態のいい壁画が残されたのです。


                  ゼウクシス
                  紀元前5世紀末〜4世紀初頭にかけて活躍したといわれるギリシアの画家です。とても優れた才能の持ち主で、本物と見間違うほど絵がうまかったとされています。
                  ゼウクシスについて伝えられる話では、彼の描いたブドウの絵に、小鳥が舞い降り、それをついばもうとしたとまで言われました。
                  『神々とゼウス』『へびをつかみ殺す幼児ヘラクレス』など多数の作品を描いたと記録されていますが、いずれの作品も現存していません。

                  アルカイック
                  紀元前700〜480年頃。アルカイック・スマイルの語源にもなっています。本来は動かない彫刻にどうやって動きを表現しようかと考え、ほほ笑みを浮かべた表情がつけられたといいます。

                  クラシック
                  紀元前450〜320年頃。アルカイックのぎくしゃくした動きの表現が進歩し、より人間らしい自然な動きが現れます。デッサンなどでよくモデルにされるミュロンの『円盤投げ』はこの時代の作品です。


                  ヘレニズム
                  紀元前320〜30年頃。クラシックの時代で表現できた自然は動きをもとに、さらに人間的な感情を表すようになったのがこの時代です。
                  怒りや悲しみなどの表現も生み出されます。有名な『ミロのヴィーナス』はこの時代の作品です。



                  ポンペイ遺跡

                  ナポリ近郊にあるポンペイ遺跡は、古代ローマの都市と人々の生活ぶりをほぼ完全な姿で今に伝える貴重な遺跡です。西暦79年8月24日、ナポリ湾を見下ろすベスビオ火山が大噴火すると、南東10キロに位置したポンペイの町は火山灰に埋もれてしまいました。その後、およそ1700年の時を経て始まった本格的な発掘によって、古代都市の様子がまるで時が止まったかのように出現しました。
                  発掘によって現れたポンペイの町は、整然と区画され、住居はもちろん、劇場や公衆浴場、下水道まで完備されていました。人口1万人以上と推定される町には、壁画やモザイク画、市民が記した落書きなどが当時のまま残され、ローマ帝国の市民たちの贅沢で、享楽的な暮らしぶりを鮮やかに物語っています。そうした平和な日々は、ベスピオ山の大噴火によって、一瞬にして奪われてしまいます。逃げ遅れた人々は吹きつけた高熱のガスで窒息死し、その上に灰が降り積もりました。灰は硬く固まり、肉体が朽ちて空洞が残りました。研究者たちは、その空洞に石膏を流し込み、死の瞬間の姿を浮かび上がらせたのです。それは、家の中で身を寄せ合う家族、最後まで子どもに寄り添う母親、互いをかばい合うように抱き合う恋人などの姿でした。石膏の人型は、一瞬にして平和な日々を奪われたポンペイ市民の悲劇を伝えています。


                  なるほど〜。
                  実はnana、ポンペイ遺跡には行ったことがあるんです♪
                  小学校のときだったんですけど…nanaの父、西洋古美術商をしていて、その関係で連れて行ってもらったんです!今でも鮮明に覚えてますヨ。
                  そのとき、観光客の入れない今まさに発掘中という現場とかも見せてもらいました。そりゃもう感動的でしたよ。壁画やモザイクの色の美しいコト!長い年月、灰に埋もれていたのに…イヤイヤ、灰に埋もれていたからこそ?今の時代までこんなに美しく残っているんですかね?
                  感動と、もちろん恐ろしさもありました。。。
                  だって人間が、もがき苦しんでいるそのままの形で残っているんだもの。。
                  でもローマ時代の人々が本当に優雅に生活していたのだろうという跡がたくさんあるんですよね。あの時代に、下水道って!!今の水道のようなものもあったってことでしょ?ヨーロッパの文化は進んでいたんですね〜。

                  アルカイックからクラシック、ヘレニズムと、人々が芸術作品をどうやって変化させていこうか、今ではあたり前のようだけど、最初はほほ笑みを浮かべてみたり、そして悲しみの表情を付けてみたり、絵画には遠近法なども考えられてくるんですよね。よりリアルに人間を表現しようとする進化が面白いデスネ!

                  次は「広がる宗教画の世界」です♪♪



                  | 世界の名画より♪ | 17:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  旧石器時代〜エジプト・メソポタミア
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                    今日は第1章の最初♪『旧石器時代〜エジプト・メソポタミア』です♪

                    昨日アップした第1章の全体の流れとカブる文章はありますが、予習していたのですんなりと読むことができました♪
                    とりあえず本の文章をそのまま書き込んでいきます♪

                    石器時代は洞窟壁画 エジプト・メソポタミアは浮彫や円筒印章も

                    素朴な祈りの絵画

                     人類最古の絵といわれているのが、旧石器時代に描かれた洞窟壁画です。
                    紀元前3万〜1万年といわれ、有名なものでは、アルタミラやラスコーの洞窟壁画があります。
                     そこに描かれているのは、野牛やトナカイ、馬などの動物です。狩猟の成功を願って呪術的な意味合いから描かれたものだろうといわれています。
                     不思議なことにラスコーもアルタミラも発見したのは子供。いずれも偶然の発見ですが、世界の考古学者や美術学者を驚かせる歴史的事件となりました。

                    古代文明とともに

                     そうした旧石器時代から土器の製作技術などが発達した新石器時代を経て、より高度な文明が生まれます。後の古代ギリシア・ローマ美術にも影響を与えるエジプト文明とメソポタミア文明です。3000年頃、ほぼ同時期に生まれたといわれます。
                     そのうちエジプト文明では、最大の芸術作品といえるピラミッドがつくられました。そしてその中には、肩や胸は正面で顔が横向きという特徴の人物画が多数描かれ、彫って立体感を出した浮彫もみられます。
                     また、メソポタミアの美術では、円柱型の石に図柄や文字などを堀り、それを粘土板に押し付け、形を出す※円筒印章などもつくられています。


                    ※円柱印章…円柱型の石に幾何学模様や動物または文字などを刻んで、柔らかい粘土板の上でころころ回して模様を押し付けたと考えられている美術品のひとつ。
                    駄菓子のおまけで模様の彫られたタイヤ型のスタンプを転がして遊ぶおもちゃのような仕組みです。シリンダ・シールとも呼ばれているメソポタミア美術の特徴的な技法です。


                    ふむふむ♪昨日お勉強済みだからほとんど分かるわ♪

                    こんな事も書いてあります♪

                    知ったかぶり豆知識
                    古代の絵は鼻の高さが表現出来ず、みんな横向き
                     人間の顔を正面から描くのに、問題になるのが立体感です。特に鼻の高さをどうやって表現するかは、絵画史上なかなかクリアできないハードルだったようです。 
                     古代エジプトの絵では、そうした技術がまだ育っておらず、肩や胸は正面を向いているのに顔は横向きという図柄になっています。


                    そうね、確かにエジプトの絵の顔って横向きってイメージあるある♪
                    こういうのデショ!



                    チョット…このエジプトの絵の画像を探しているうちにこんな情報も見つけてしまいました。。。

                    実は理由はよくわかっていなくていろいろな説があるのですが、1番有力な説は、顔の半分を現世へもう半分を来世へ向けているといるからだというものです。というのも、我々が目にする壁画の全ては、神殿や墓所の壁画でいわゆる死者の世界に属するものです。古代エジプト人は死後も死者の世界で新しい人生を送ると考えていたので、神殿や墓所は死者が現世に戻ってくるあの世との接点であり、ゆえにそこに描かれる壁画の顔は現世と来世の両方に顔を向けているのだと考えられてるのです。
                    他にも、言霊の力を信じていた古代エジプト人が、悪霊が壁画に乗り移って見る人に呪いの言葉を掛けることを恐れて、顔を横向きにさせたという説もあります。


                    色々な説があるのね〜。。でもきっとこの『もう一度学びたい 世界の名画』が正しいに決まってる!そう信じてnanaはお勉強します。(でも他の説も知れば知るほどムカ〜シの世界って謎めいてて面白い♪)

                    あと、美術が生まれた各地域の壁画や文明のまとめ。

                    アルタミラ洞窟壁画スペイン北部・カスティアラビエハ地方のサンタンデル県にあります。
                    壁画が発見されたのは1879年。旧石器時代に描かれた絵画で最初に発見されたものです。世界文化遺産にも登録されています。

                    ラスコー洞窟壁画フランス南部ドルドーニュ県モンティニャックに近いラスコーにあります。
                    発見されたのは1940年。発見された当初は一般に公開されていたが、損傷がひどくなったため閉鎖。今は複製が公開されています。アルタミラ同様、周囲の遺跡を一緒に世界遺産に登録されています。

                    エジプト文明
                    紀元前3000年頃に最初の王朝がつくられ、以来約3000年にわたって栄えた文明です。全盛期の美術様式は、誇張なく写実的に表現するアマルナ美術と呼ばれ、『王妃ネフェルト・イティ胸像』などの彫刻も有名です。

                    メソポタミア文明シュメール人によって多くの都市国家が生まれ、王国が次々と変わっていったのがメソポタミア文明です。領土が地中海地域まで拡大したことで、美術様式などの文化がヨーロッパ地方まで影響をあたえました。


                    今日はこんなところでしょうか。
                    やっぱり1ページだけにしとこ。長くなっちゃうから。
                    次は〜ギリシア・ローマの絵画デス♪

                    | 世界の名画より♪ | 15:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    第1章 
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                      まず最初は、第1章の全体の流れです♪

                      『石器時代の洞窟壁画から宗教画が中心となる絵画様式へ』

                      人類最初の絵   洞窟壁画

                       色彩や線を使って、モノやイメージを表現するのがすべて絵画なら、人類が最初に絵画作品を残した場所は、洞窟の壁だと言われています。
                       この人類最初の絵として有名なのが、スペインのアルタミラやフランスのラスコー。紀元前3万〜1万年頃という遠い昔の旧石器時代の人々が、狩猟の成功祈るといった願いを込めて野牛などの絵を描いたといわれます。
                       そんな時代を経て、紀元前2500年頃にはエジプトでピラミッド建設が盛んになっていき、墓の壁面を飾る壁画はもちろん、平面を削ってつくるレリーフ(浮き彫り)など精巧な技術が次々に生まれていきました。
                       このエジプト文明の影響を引継ぎ、発展したのが古代ギリシア、そしてローマの文明です。ここで栄えた美術や絵画の様式は、再生を意味するルネサンスで復活します。

                      根底にあるのはキリスト教

                       中世に入るとだんだん絵画らしい絵画がつくられるようになっていきます。といっても、内容はキリスト教の宗教画がほとんどです。
                       その顕著な例がイコンと呼ばれる聖画。東ローマ帝国で栄えたビザンチン美術で数多く描かれたイコンは、教会や家庭に飾られ、礼拝の対象となりました。
                       人類最初の絵が素朴な祈り、中世の頃には宗教画。いずれも人の願いを表するもののようです。絵画は、いつの時代も同じものをもとめているのかもしれません。


                      ですって。ふ〜ん。なるほどねぇ。
                      祈りとか願いが込められているんだぁ。

                      こんなに分かり易く書いてある文章なのだけど、nanaにはこれでもチョット?な所があったりして。。調べてみました♪

                      アルタミラ

                      アルタミラ洞窟壁画は、先史ヨーロッパ時代の区分で主にマドレーヌ期(約18,000年〜10,000年前)と呼ばれる旧石器時代末期に描かれた野牛、イノシシ、馬、トナカイなどの動物を中心とする壁画である。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。



                      これらの壁画は1879年にこの地の領主ソウトウラ(Marcelino Sanz de Sautuola)の5歳の娘マリアによって偶然発見された。ソウトウラはこれらの絵が旧石器時代のものであると考え、1880年に発表したが、当時は旧石器時代の絵が知られておらず荒唐無稽な話と思われたため、しばらく学界からは否定された。その後、20年ほどの間に、他の地でもいくつかの洞窟壁画の事例が報告されたが、これらの絵にも当初は否定的な見解がなされた。1900年代に入ると旧石器時代の絵と認識されるようになり、各地でも洞窟壁画の発見が相次いで報告されるようになった。
                      しかし、アルタミラ洞窟の中の絵は、痛みがひどくなっているので、現在は公開されていない。

                      ラスコー

                      ラスコー洞窟は、フランスの西南部ドルドーニュ県、ヴエセール峡谷のモンティニャック村の近郊に位置する洞窟である。先史時代(オーリニャック文化)の洞窟壁画で有名である。

                      ラスコー洞窟の壁画は、アルタミラ洞窟壁画と並ぶ先史時代(フランコ・カンタブリア美術)の美術作品である。これは1940年9月、ラスコー洞窟近くで遊んでいた近くの村の子供たちによって発見された。地下に長く伸びる洞窟は枝分かれし、壁画が集中している大空間などがいくつかある。洞窟の側面と天井面(つまり洞窟の上半部一帯)には、数百の馬・山羊・羊・野牛・鹿・かもしか・人間・幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印した人間の手形が500点もあった。これらは15,000年前の旧石器時代後期のクロマニョン人の人々の手によって描かれていた。

                      材料として、赤土・木の炭を獣脂・血・樹液で溶かして混ぜ、黒・赤・黄・茶・褐色の顔料を作っていた。顔料はくぼんだ石等に貯蔵して、こけ、動物の毛、木の枝をブラシがわりに、または指を使いながら壁画を塗って描いたと考えられる。この壁画には、古い絵の上に新しい絵が重ねて描いてある。絵画の空間としてはあまり意識せずに描いてある。


                      ■無数の壁画がある内の1つに、この中の黒い牛の絵に、牛の角に遠近法がに用いられている。手前の角が長く描かれ、奥の角は手前の角より短く描かれている。そのほかの人・動物にも、遠近法が用いられている。

                      ルネサンス
                      ルネサンス(仏: Renaissance 直訳すると「再生」)とは、一義的には、14世紀 - 16世紀にイタリアを中心に西欧で興った古典古代の文化を復興しようとする歴史的・文化的諸運動を指す。また、これらが興った時代(14世紀 - 16世紀)を指すこともある。

                      イタリア・ルネサンス以前の時代にも古代文化の復興運動があったとして「○○ルネサンス」と呼ぶこともある。9世紀フランク王国の「カロリング朝ルネサンス」や、10世紀東ローマ帝国の「マケドニア朝ルネサンス」および帝国末期の「パレオロゴス朝ルネサンス」、西ヨーロッパにおける「12世紀ルネサンス」などがそうであり、これらについてはそれぞれの項目で述べる。

                      日本では長らく文芸復興と訳されてきたが、(文芸のみでなく広義に使われるため)現在では余り使われない。ルネッサンスとも表記され、通俗的に「復興」「再生」を指す言葉として用いられている場合、例えばコスメティック・ルネッサンス、あるいはカルロス・ゴーン著『ルネッサンス』などは、なぜかルネッサンスと表記されることが多い。しかし、現在の歴史学、美術史等ではルネサンスという表記が一般的である。


                      ■レオナルド・ダ・ヴィンチによるウィトルウィウス的人間像、科学と芸術の統合


                      イコン

                      イコン(Icon)とは、キリスト教において神や天使や聖人を記念し象徴として模られた絵や像で、敬拝(崇敬)(προσκύνησις)の対象とされるもの。ギリシャ語でエイコーン(εικών)といい、形を意味する εικόνα に由来する。ちなみに、英語の icon(アイコン) は、ギリシャ語のエイコーンに由来する。 教会では聖像と呼ぶ。 特に東方教会では平面の板に描かれたものや浮き彫りのものを用いる。


                      ■ロシア正教会の最も有名なイコンのひとつ:「ウラジーミルの生神女」。1131年にコンスタンティノープルからキエフに贈られた。1155年にウラジーミルに移され、ヴァシーリー1世により1395年にはモスクワに移された。ロシア正教会で最も有名なイコンのひとつである。(Theotokos of Vladimir)

                      ビザンチン美術

                      ビザンティン美術は、5世紀から15世紀の東ローマ帝国(通称:ビザンティン帝国、ビザンツ帝国)で発達した美術の体系。古代のヘレニズム美術、ローマ美術を継承しつつ、東方的、キリスト教的要素を含んだ独特な体系を産んだ。日本ではビザンツ美術と呼ぶことも多い。
                      ビザンティン美術と呼ばれる美術の範囲には、東ローマ帝国の内部で製作された美術作品のみならず、その勢力圏にあって強い影響を受けたルーシ(ロシア)、ブルガリア、ヴェネツィア、南イタリア、シチリアなどの美術も含んでいうことがある。 顕著な特徴は、同時代の西ローマ、西ヨーロッパの美術に比べて、東方的な要素を多く含んでいる点である。

                      ビザンティン美術は非常に優れたモザイク画を生んだ。宗教画は、様式化され写実的な描写に乏しいとされるものが多い(神の世界の不変性を描くため、また偶像崇拝という批判を避けるため、あえて写実的なスタイルをとらなかった)が、末期の「パレオロゴス朝ルネサンス」の時期には古代ギリシア文化の復興を受けて写実的なフレスコ画なども多く描かれた。これらの独特の宗教美術や、ドームを特徴とする建築様式は、いまでも正教圏各国に受け継がれている。帝国の滅亡後もその影響はギリシャなどの正教会の諸国に伝わり、東ローマ帝国を滅ぼしたオスマン帝国のイスラム美術にも影響を及ぼした。また末期の写実的な画法は、イタリア・ルネサンスの絵画にも大きな影響を与えた。


                      ■ビザンティン美術の例:アヤソフィアにある、キリストと11世紀の皇帝コンスタンティノス9世夫妻のモザイク画


                      何だか長〜くなっちゃいましたが、そんな事なんですネ。
                      ただ本を読んでいるだけよりもこうやってブログに文字で書き込むとnanaもたくさんお勉強になるなぁ。
                      面白いところだけピックアップして載せるのではなくて順番に本の内容全部紹介していこうかなぁ。。大変かなぁ。。なんて思っているところです♪
                      長いお付き合いになると思いますがヨロシクオネガイシマス♪


                      | 世界の名画より♪ | 15:56 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |